1998年 |
2月18日
渡辺EPがライトストーム社(ジェームズ・キャメロンの製作会社)を訪問し、デジタルエンジン構想への協力を取りつける

3月
絵コンテのBパートが完成

5月18日
渡辺EPが再度、ライトストーム社を訪問。キャメロンはエグゼクティブ・プロデューサーの立場でデジタルエンジン構想に参加する意向を示す

8月18日
デジタルエンジン構想2作品へのキャメロンの協力が白紙撤回となる。「尊敬する大友・押井両監督に対して、プロデューサーとして指示することはできない」との理由

9月5日
『スプリガン』(監督:川崎博嗣/総監修・構成:大友克洋)劇場公開

10月21日
渡辺EPがセントロポリス・エンターテイメント社を訪問。ローランド・エメリッヒ&ディーン・デブリンと会談し、共同開発につき基本的合意に達する

12月14日
セントロポリス社が、『スチームボーイ』の企画をスタジオ側に提案し、スタジオ関係者が興味を示す。アメリカ人の脚本家を加えて、大友監督の考えを理解しているか確認した上で、早急にストーリー案を書き起したいとの返答を得る |
1999年 |
1月
絵コンテのCパートが完成

3月12日
アメリカ人の脚本家よるストーリー案が完成。しかし、極端にステレオタイプなキャラクターとハリウッド的な内容に、日本側が難色を示す。結局、日本独自のストーリー開発をすることに決め、セントロポリス社との展開を断る

5月
絵コンテのDパートが完成

8月6日
渡辺EPがプロダクションI.Gの石川光久社長に現場制作依頼の相談をする

9月
大友監督が荻窪の「デジタルエンジン研究所」に現場を移す

11月
絵コンテのE-1パートが完成

12月10日
渡辺EPがシルバーピクチャーズ社を訪問。ジョエル・シルバーとウォシャウスキー兄弟に『スチームボーイ』のプレゼンを行う。シルバーは「何としても協力したい」と発言、基本的に製作参加に合意する |
2000年 |
2月10日
日本でのビデオ化権をめぐる見解の違いから、シルバーとの交渉が決裂。国内の劇場配給を東宝に打診する。I.G石川氏の推薦により、サンライズの富岡秀行プロデューサーに現場制作を打診

5月
絵コンテがすべて完成

5月1日
サンライズによる現場制作が内定。この時点での完成目標は2001年末。予定上映時間110分前後。1800カット、動画枚数15万枚。35ミリ、ビスタサイズ、ドルビーデジタルサラウンドEX。製作費18億円を想定

5月15日
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スチームボーイスタジオ(荻窪) |
渡辺EPがカンヌ映画祭に出席し、フランスのキャナルプラス社との会議を行う。キャナルプラス社は50%出資の合作に合意するが、のちに経営方針の変更で合作話は破談。これを機に、海外の映画会社による出資を模索しつつも、基本的にはバンダイビジュアル、バンダイ、サンライズのグループ3社を核に、製作を続行するにする

7月1日
制作現場がスタジオ4℃からサンライズへ移管。それに伴い、スタジオを吉祥寺から荻窪へ移転する。スタジオ名を「デジタルエンジン研究所」から「スチームボーイスタジオ」へと変更し再始動 |