――今回は音響作業をアメリカでやりましたが、最初からそのつもりで?
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レイ役・鈴木杏のアフレコ風景
(アフレコ終了会見より) |
いえ、まったくそういうことはありません。早い段階で提案したことはしましたが、当初は作曲家も日本人でいく予定でした。アメリカで作業するということは、フィルムの持ち運びも大変だし、スケジュール、コミュニケーション、予算など、様々な問題があるので、僕以外は考えていなかったと思います。ただ、決してアメリカでなければダメとは思っていませんでした。必要であれば、どこの国のスタッフでもいいじゃないかと。実は設備的な問題や予算的なモノも含めて、インドやタイ、香港でという話もありました。
――最終的に海外に決まったのは?
2003年の秋のことだと思います。音響効果や、その素材が膨大になるのは見えていたので、日本のスタジオでは処理しきれないだろうということがありました。日本は設備面においてかなり遅れています。
――音楽プロデューサー兼サウンドエンジニアをアラン・マイヤーソンさんが担当しているのも、アメリカで作業することになったから?
アランとは『BLOOD THE LAST VAMPIRE』で一緒に仕事をしましたが、今回も、どこの国で音響作業をすることになったとしても、アランとやるつもりでした。もうほとんど僕にとっては兄弟のように仲の良い大親友ですし、その才能も最も信用しています。音楽はもともとオーケストラでいくと、大友さんと僕でも一致していましたし、オーケストラで生楽器の演奏を録るということ、それを現代的なミックスで仕上げるということに関して、アラン以外にはありえないと思っています。スコアリング、サウンドミキシングという両方に関して、アランは世界でトップ3〜4人のうちの1人です。
――作曲家探しに関しても、アランさんを通じて?
そうですね。彼の力も借りました。作曲家を探しているときに他の作業でアメリカに行く機会があり、そこでアランに会って作曲家探しの件を話したら、ハンス・ジマーはどうかと言ってきました。さすがに彼はギャラが高いから無理だったのですが、「彼の弟子たちがいるから、良かったらデモを聴いてみてよ」と教えてくれたんです。その中にいたのがスティーブ・ジャブロンスキーです。
――スティーブ・ジャブロンスキーさんは、デモテープ聴いて「この人だ」と?
いえ、そう簡単にはいきせん。スティーブ以外にもいい人はいましたし、デモの曲はそれぞれみんなクオリティーがバラバラで……。それに会ったこともないから人柄も分からない。ただでさえロスと東京、英語と日本語でコミュニケーションの問題があるのに、あまり難しい人でも困る。
――他の作曲家候補と比べて違ったのは?
優しいメロディが書けるというところです。今回は優しさとアクションの両方が書ける人でなければダメでした。日本人の作曲家はアクションが苦手で、日本人がアクションを書くとほとんどが『ゴジラ』か戦隊モノのようになってしまうんです。それに、感情を描くとオンかオフになってしまう。そこで泣くか泣かないか……といったような。映画がもっている色合いというのはもっと微妙で、2時間後、見終わったあとにどう感じるかということを考えて、その場面の音楽をどうするかということが大切です。そのバランスをもって考えられる作曲家が多いという点で、やはりハリウッドは勝っていますね。 |