1994年 |
6月30日
大友監督による企画書が完成。当初は劇場公開作品ではなく、40分×3作品、製作費3億円のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)企画だった |
1995年 |
7月18日
パイロット版の絵コンテが完成
12月23日
『MEMORIES』(原作・製作総指揮・総監督:大友克洋)劇場公開 |
1996年 |
4月11日〜18日
大友監督がイギリスへロケハンに行く。メインスタッフから木村真二(美術監督)、外丸達也(作画監督)、橋本敬史(エフェクト作画監督)、松見真一(演出/当時)らが同行する
4月19日〜20日
『MEMORIES』のシンガポール映画祭クロージング上映のため、大友監督がイギリスから直接現地入り。バンダイビジュアルの渡辺繁と合流する。翌20日に大友監督が舞台挨拶を行う。その夜、大友監督が渡辺に『スチームボーイ』の作品イメージと難航している製作状況を話す(=第1次大友・渡辺会談)
6月1日
初めての作画打ち合わせが行われる(当時の現場制作はスタジオ4℃)。しかし、出資社との折り合いがつかず、制作は停滞
7月11日
大友監督による脚本の初稿が完成。絵コンテに着手
9月22日〜30日
『MEMORIES』上映のため、ヘルシンキ映画祭(フィンランド)とカートゥーンブリア国際アニメーションフェスティバル(イタリア)に大友監督と渡辺が出席。その帰途に立ち寄ったローマにて、『スチームボーイ』の予算がスポンサーとの考え方の違いから紛糾していることを聞いた渡辺が、「現スポンサーでの成立が無理ならば、バンダイビジュアルで引き受ける」と回答(=第2次大友・渡辺会談)
10月16日
第3次大友・渡辺会談。製作の状況を改めて確認
10月28日
大友監督が当時のスポンサーと交渉。計画を白紙に戻す了承を得て、企画を自ら買い戻す方針を決意 |
1997年 |
1月15日
バンダイ内で「大友克洋企画」の検討会議。3月から正式製作に移る予定で、段取りを整理。この段階ではCGI含め、製作費12億円を想定
3月
バンダイビジュアルによる製作が正式に始動し、制作が再開。渡辺繁がエグゼクティブ・プロデューサー(以下EP)として就任
5月
絵コンテのAパートが完成
8月3日
シーグラフ(アメリカで毎年開催されるCGの祭典)に大友監督と渡辺EPが参加し、同行した押井守監督と共に、ジェームズ・キャメロン監督に会う
10月28日
バンダイビジュアルが「デジタルエンジン構想」を発表。その記者会見の席上で『スチームボーイ』と『G.R.M.』(押井守監督作品。後に計画は凍結)の製作発表が行われる。『スチームボーイ』の公開時期は1999年予定だった
11月2日
東京国際ファンタスティック映画祭’97のプログラム「EMOTIONアニメ新世紀宣言」において、『スチームボーイ』と『メトロポリス』(監督:りんたろう/脚本:大友克洋)のパイロット映像を一般初公開。大友監督とりんたろう監督、渡辺EPが舞台挨拶を行う
11月6日
脚本が完成
12月5日〜翌年1月8日
渋谷PARCOスペースパート3にて「デイジーVISIONS 大友克洋とデジタル新世代展」を開催 |